Mosu映画ガタリ

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幸せに生きるということ

家から30分ほど歩いたところに、小さな映画館がある。
スクリーンは二幕。このご時世、いつ閉館になってもおかしくない佇まいだが、全国的にも珍しい「市と民間による公設民営方式」、そしてそれを支える愛好者の署名運動などの熱意により、現在も1日数本の上映を続けている。
そんな映画館で『丘の上の本屋さん』というイタリアの映画を観た。
原題は”II diritto alla felicità”(幸福の権利)だそうだ。
映画の舞台は「イタリアの最も美しい村」と謳われるチヴィテッラ・デル・トロント。
なんだろう、このイタリアの素朴な町並みが醸し出す空気感だけで、かの懐かしき名作『ニューシネマパラダイス』とつい重ね合わせてしまうのは自分だけではあるまい。
古本屋を営む老人リベロと移民の子・エシエンとの交流が軸となるストーリーと来ては、それこそ映画技師のアルフレードと少年トトをシンクロさせずにはいられない。
『丘の上の~』の前に、まず『ニューシネマパラダイス』について語らせていただきたい。1988年に封切りされた、35年前の映画だ。
ビデオだったかDVDだったかも定かではないが、この映画を好きだった母親が家で再生していたのを、何気なく一緒に観た。
そこには、不死身のヒーローも孤高の名探偵もいない。カーチェイスもタイムリープもない。ちりばめられた伏線や大どんでん返しのラストもない。
身近に感じられる風景や人物が織り成す、誰にでも起こり得るストーリー。それなのに、ラストのシーンでは涙が溢れ、そのことに自分自身が驚くほど、心を揺さぶられた。
それまで所謂、若者が好むデート用の映画(ハリウッド映画や流行りの邦画など)しか観たことがなかった僕だが、以来あらゆるジャンルの映画を貪るように観始めたきっかけとなった作品だ。
あれから数多の映画を観、いっぱしに感想など語るようになった。
そのせいか、最近ではなかなか新鮮な驚きに出会えなくなっている。
『丘の上の本屋さん』を観ながらも、つい「ここの演出はこうしたほうが…」「音楽がもっと良かったら…」「ラストうーん…」などと批評家まがいなノイズが頭をよぎり
(しかしまぁ、ニューシネマパラダイスと比べてしまっては、巨匠エンニオ・モリコーネによる至高な音楽とではハードルが高過ぎるだろうし、当然ながら感受性が研ぎ澄まされていた若き自分の記憶による過大なバイアスもかかっているだろう)、
純粋にこの作品だけをインプットできなくなっている野暮な自分に気づく。

誰もが各々の人生の主人公であり、自由であり、幸福になる権利がある。そして何を幸せと感じるかは人それぞれ違う。
当たり前のようでいて、つい日々の煩悩にかまけて忘れてしまいがちな、人生の曼陀羅チャートの真ん中にある最終目的を再認識させてくれる。
そして、ヨーロッパで最も本能に近い感情を現して人々が生きているイタリア(と勝手に思っている)の原風景と相まって、シンプルなメッセージがより心に響く。
きっと若かりし頃の自分のような誰かが観たなら、後の人生に多大な影響を与える作品となるであろう。

そんな映画を、この小さな町の映画館で観られたことを、幸せに感じる夕暮れであった。